訪問から少し時間がたってしまいましたが、遠路はるばる大川美術館まで行ってきました。
(※大川美術館の許可を得て撮影しています)
「松本竣介 アトリエ再見プロジェクト」で、展示室の一画に設けられた竣介のアトリエ「綜合工房」です。
竣介の次男・松本莞氏の監修で、床から再現するとは聞いていたけれど、実際に展示コーナーに立つと思っていた以上に雰囲気があってよかったです。
以下、印象に残ったものを紹介。あまり詳細に出すとネタバレになるのではと心配していたのですが、『日曜美術館』でも紹介されましたので、興味のある方は11/25(日)の再放送をご覧ください。(私は18日の放送見逃したので、再放送を予約しておきました)
NHK Eテレ 11月25日(日)20:00~
松本禎子と結婚した1936年に自宅のアトリエを「綜合工房」と名付けた際に作られた看板。
竣介の作品や「文化住宅に住んでいた」ことから、なんとなく机で執筆していたイメージがあったので、座卓を使っていたとは意外でした。
写真のように座卓に製図版を差し込んで、下絵を描いたりしていたとのこと。鑑賞者の位置からは見えませんが、製図版にはランボーの詩が書きこんであるそうです。この配置なら落ち着いて読書や作業ができただろうなあと思える、居心地の良い空間です。
イーゼルとパレット。几帳面な竣介は、使い終わったパレットや筆を綺麗にしており、形見のキャンバスや絵具といった消耗品は、戦後の物資不足の折、画家仲間や画学生の義妹に譲ったので残っていないそうです。(分析に使う試料が残っていないという意味らしい)
(イーゼルの前の竣介)
竣介の背後に展示と同じイーゼルが写っていますね。
まだ幼い莞氏がアトリエの電気のスイッチの入り切りで、耳の聞こえない竣介に食事の時間を知らせていたそうですが、仕事が佳境に入っていても、必ず家族と食卓を囲んだ人だったそうです。
手前の白い棚は竣介の自作で、溶剤などを収納していたそうです。
珈琲が好きな竣介が使っていたカップや茶器。上段右側の棚には、本好きの竣介が自作した革製ブックカバーも。
骨董屋で買った江戸時代の天秤や秤は、道具としてではなくオブジェとして部屋に置いていたそうです。壺を飾ったり、千両箱を来客用のコーヒーテーブル代わりに使ったりするあたり、なかなかセンスのいい素敵男子だったようです(笑)。
藤田嗣治も服をリメイクしたりかわいい食器をデザインしたりと、明治時代の男性にしては「女子力」高めなのですが、竣介の方が(若い男の人らしく)すっきりしたテイストです。
原宿のBEAMSで民藝や古道具を取りあげる現代に竣介が生きていたら、雑誌で紹介されていたに違いなく、ちょっと親近感を抱きました。
展示室内には「立てる像」や私の好きな「工場」(神奈川県立近代美術館)、竣介の住まいから見た中井駅周辺を描いた「N駅近く」や絶筆「建物(茶)」(国立近代美術館)などがバランスよく配置され、ゆっくり鑑賞できました。
「立てる像」
今回一番印象的だったのは、2年ぶりに「立てる像」を観て、以前とは印象が違ってみえたことでしょうか。
他の自画像と比べると少年のような幼い顔つきやぼんやりとした目線が、なんとなく特異な印象を受けます。サンダル履きに、よく見ると上着の裾からシャツがはみ出ているという「服装の乱れ」も、いつもきちんとした服装の自画像らしくない。
同時期に描かれた「画家の像」では妻子持ちの大人の男性として描かれた<自画像>が都会人の身なりをしている点からも、竣介が「立てる像」を意図的に「稚なく」「無垢な」姿で描いたのではないかという疑問が生じるのです。
「立てる像」下絵(左右の目線がずれている)
背景はやがて戦火で失われるであろう落合の街ですが、廃墟めいた街に立ち尽くす「薄ぼんやりした少年」の姿に、ドストエフスキーの『白痴』を連想したといえば、考えすぎでしょうか。
桐生の街を一望できる素敵なカフェテラス。鑑賞の合間に、手作りのサンドイッチと珈琲でひと休みしてきました。
こんなお天気のいい日にビールやワインをいただけたら気持ちよさそうです。
展示室には他にも竣介のアトリエを訪れた画家たちの作品や、訃報を知った末松正樹の自筆原稿や、鶴岡政男のノート(初公開)なども展示されており、大川美術館の並々ならぬ気合いを感じました。
また、林芙美子の夫・手塚緑敏が落合の街を描いた風景画も一点だけ展示されており、妻子を疎開させてアトリエの残っていた竣介を林芙美子夫妻が長野の疎開先に招待したという親交など、あまり知られていないエピソードも初めて知りました。
クラウドファンディングの招待券はあと3枚。
この後の「読書の時間」「子どもの時間」「街歩きの時間」展も、時間を作って観に行きます♪